主張できない人の病

パニック障害は『自己主張できない人の病』だと誰かが言っていた。


明るく人当たりの良い人に多いらしいが、それは他者に対して肯定的な自分を見せていることを意味している。
後ろに追いやられた他者に否定的な自分が、抑圧しきれなくなったときに発作として爆発するのかも知れない。





うちの家庭環境を思い返したとき、俺が自己主張できない人間になったとしても仕方がない気がする。
俺は家族全員の虐めのターゲットであり、何を主張しても通るわけもなく、理不尽を無理矢理呑み込まされてきたからだ。

そんな弱弱しい立場にいるというのに、俺は家族のことを可哀想だと感じていた。
父親は朝食の席で「苦しい、もう死にたい」と毎日ぼやいていて、なんとかしてやれないものかと胸が痛くなったし、母親は身体が弱くときどき家事を行えなくなっていたが、そのたびに父親に不出来を責められているのが見るに堪えず、その都度母親を庇っていた。
弟は昔から俺を敵視していながらも、俺のやることをなんでも真似するようなところがあり、弟なりに辛い気持ちがあってそうなるのだろうと反撃を手加減していたところがあった。



危害を加えられているのに相手に同情してしまう。
こうした癖がのちのちの俺を病気にした。





人にノーを伝える必要があるときに俺はとても辛くなる。
ついノーを言われた方の痛みを想像してしまうからだ。


明快にきっぱりとノーを伝える努力をしているのだが、俺のそうした性質は意識しているにしろ意識していないにしろ相手に読まれてしまうらしく、「この人には甘えてもいい」という心情にさせてしまうことが多い。
ある態度の甘えなら可愛いものだけど、俺が相手と一体化した存在であるかのように、俺の都合を丸無視するようになる人も少なくない。
たとえば自分が欲しいタイミングに返事を寄越さなかった、それだけで責められたりするようになるのだ。
こうなった人は、どんなに言葉を選んでも、何度ノーを重ねても、もう俺を尊重できない状態になってしまっているから距離を置かねばならない状況になる。
俺はそうした失敗を何度も繰り返してきた。



そして俺はいつもの失敗をしたのと同時に病気になった……
危険なものではないはずのあらゆるものが俺の安全を脅かして来る気がする病気だ。



そんなさなか俺は、パートナーが自分が近付いてきたり話しかけてくるときにも圧迫感を感じるようになった。
思わず「離れていてくれ」と頼んでしまったとき、パートナーを拒絶をしてしまったことが、自分でもショックだった。




罪悪感に苛まれた末に改めて思った。
俺がこの病気になったのは


「俺のノーを尊重してくれ!」


という心の叫びなんだと。



実は現パートナーも、俺のノーをあまり尊重しない人だったのだ。
まだ恋人関係が成立しておらず、関係性としては親友の位置に彼がいたころのことだが、一度俺の家に遊びに来ると、そろそろ帰れと伝えても帰らず、それでも無理矢理に家から出すとうちのマンションの前で名残惜し気にうろつき、不審者と見なした近隣の住人から警察を呼ばれたりしていた。
とにかく彼はひとときたりとも離れるのを嫌がるし、「ベッドは別々じゃないと気を遣って肩が凝るから」と主張する俺に対してダブルベッドじゃないと嫌だとだだをこねたりして、パーソナルスペースを守らせてくれないところがあった。
もちろん肝心なところでは俺の主張を受け入れてくれる人だからこそ関係が成立していたのだが、俺のノーを尊重してくれないところに困らさせられたことが少なくなかったのは事実だ。
そのときに呑み込んだ気持ちが、今こうした形で表れているんだろう。



この病気は相手が受けるべき拒絶のダメージを自分に吸収しながら、他人からの侵入を受け続けたことが祟ったものだ。
そうやって自分で自分の生きる世界を危険なものにした結果、アドレナリンによって闘争と逃走のスイッチが入りっぱなしになった。
『不安のメカニズム』のクレア・ウィークスも言っているが、このアドレナリンのスイッチを切るには、自分自身の主導権を自分に取り返し、脅威だと感じるが実はないもののいいようにはさせないことだ。


発狂しそうなほどの不安に襲われたときに、動揺しないことなど至難の業だ。
だが人間関係に関して、俺は絶対にそうするだろう。


俺のノーを尊重できない人しかやってこないのならば、俺は友達などもういらない。
自分の信念を第一にし、それを一緒に大事にしてくれる人とともに生きていこう。
そうやって自分にとって安全な世界を作っていく、やり直す機会が与えられていないとしても、今そう決意した。


photo:Rudy and Peter Skitterians/Pixabay