病気

7月下旬、職場で倒れて病院に搬送された。
その病気自体は大したものではなかったが、それを機に寛解していたパニック障害が復活してしまった。
全般性不安障害うつ病という別の病名までご丁寧に引っ提げて。
食べられない眠れない日々が続き、体重がどんどんと落ちていった。



「ええ?赤ちゃんに投与しても大丈夫な薬だよ?」

新しく処方される薬を服用するたびに副作用が大きく出て医者に驚かれる。
様々な面で過敏な体質をしているが、それは薬に関しても例外ではなかったようだ。
治療には結びつかない、苦しいだけの通院が続く。



真っ暗な森をひとり彷徨っているかのようだ。
蛍のように瞬く淡い光を見付けては歩を進めるけれど、その姿はたちまち消え失せてしまってそのたびに立ち竦む。
どちらに行けばこの森を抜けられるのか分からない。
もしかしたら出口自体が存在しないのかも知れない、そう思うと足に力が入らなくなる。


「もう駄目だ……」

とうとう膝をついたとき、俺は距離を置いていた母親にLINEを送っていた。
子供の頃から、母親が俺の悩みを聞いてくれたためしはなかった。
自分の悩みは延々と語って聞かせるが、自分がその役になるのはごめんだよとばかり悩む俺からそそくさと逃げ出すことを繰り返した来た人だった。
だからそのときも、無反応か、話を終了させたいありきの適当な一文が返ってくるものだと思っていた。

ところがそうではなかった。


さすがに今回ばかりは深刻な事態だと母親に伝わったらしい、相方のLINEに「私は何をすればいいのか?」と相談するメッセージが届いたという。
その結果、考え出された文面は「あなたが頑張らないと相方くんもつらいじゃないの!」というなんとも不器用なものだったのだが、母親が俺の悩みに向き合ってくれたことに驚いた。
「いつでもメッセージしてきて!」
付け加えられた一文に嘘はないと感じた。
ただ、そのキャパがあるかというとそれはまた別の話で、俺が辛い気持ちを3回ほど吐露すると、母親は(恐らくはストレスが原因で)入院してしまった。
ああ、やっぱり母親はそれに耐えられる人じゃなかったんだなと、心細い気持ちになるとともに、罪悪感が湧き上がった。



俺のせいで
と自分を責めそうになるがそれじゃあ誰も得しない。

母親は自分の身を犠牲にしても俺を助けようとしたんだ。
不器用なやり方でも一生懸命に。
そう捉えるべきだ、両手をいっぱいに開いてこの愛情を受け取るべきだ。


そう決意したとき涙が出た。
愛されていないとそう解釈して、何年も前に背を向けたもの。
仕事、人望、趣味、計画、様々なものが奪われていく中で、根源的に俺が求めていたものが与えられた。





不思議だ
滅茶苦茶に苦しいのに、これで良かったんだって思っている自分もいる。
裏目裏目に出まくったここ10年の流れが俺の心を折ったけど、それによって俺は元の軌道に戻れる、そんな気がするんだ。
それは苦しみが生み出した錯覚かも知れない。病気は全く過去のものになってくれる気配がないのだから。
それでも俺は僅かな兆し、それを頼りに歩いていくしかないんだ。


photo:Jordan Stimpson/Pixabay