不思議な人から2度助けられた話

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前回の記事を書いていて思い出した、ちょっと不思議ないい話。


俺は副業でライターをやっている。
その依頼の中に、悩み相談の内容を書くというものがあった。


納品した内容の殆どはフィクションだったが、ただ1点にだけ自分の体験を反映させていた。
それがどんな媒体に掲載されるものかも知らされていなかったから、そんな仕事を請け負ったこと自体もすぐに忘れ去ってしまっていたある日のことだ。
たまに覗くブログに見覚えのある文章が引用されていた。
なんとそれは俺が作成した悩み相談の内容、それも実体験をもとにした例の文章だった!



そのブログの主、鈴木(仮名)さんは普通の主婦であるいっぽう、いわゆるスピリチュアルカウンセラーと呼ばれるような活動をする人でもあった。
何年も前の話だが、会社の同僚伝いにその存在を知らされ、上司のひとりは著作物を購入してすっかりファンになってしまっていた。「この人はすごいよ」とその上司が興奮気味に力説するので、好奇心に火がついた俺は上司に誘われるがまま鈴木さんが開催するイベントに行ってみようとしていた。

だが当日、たまたま体調が悪くなり一緒に行く予定になっていた上司の山田さん(仮名)だけがそのイベントに参加することになった。
そのとき山田さんは鈴木さんと会話する機会に恵まれ、来れなくなった連れ(俺)についての話をしたらしい。
そうしたら

「あー、ここが悪いのね?治るように気を送っておくわね」

と、まさに俺が不具合を感じている患部をその手で擦って見せたのだそうな。

そんなことってある……?
と、一瞬驚いたが、現実的に考えればだ。
山田さんが無意識にそれを指し示すような動作をしたりしたのかも知れない。
もしくは勘が良ければ気付くような、微細な情報を話の中に含ませたかも知れない。
まあ頑張って説明がつけられないこともないかな、という気もする。


話は戻る。


そんなこんなで、気を送って頂いたせいなのか否か不具合から回復した俺は、間接的にお世話になったその人のブログをブックマークしていた。
2、3ヶ月に1度拝見するか否かというペースで見に行っていたが、たまたま鈴木さんのブログを訪れたそのときに更新されていた新しい投稿が、まさに俺の記事について触れたものだったのだ。

自分の文章を一方的に見ていたブログの中に発見したことにも驚いたが、鈴木さんは今や人気のカウンセラーさんで、一部の人からの有料鑑定しか請け負っていない。
それなのになぜかそのときだけ、ネットのどこかに転がっていたであろう俺の記事を拾い上げて悩み相談に答えてくれていた。


その回答を拝見してまたビックリした。
文章に書かれていないところまで、まるでその光景が見えているかのように言い当てていたのだ。
相談内容については業務上の守秘義務に障るので事実通りには書かないが、例えるなら同じマンションに住む隣人が立てる騒音に俺が悩まされていたとして、その騒音の主の家族構成、苦情を伝えたときの逆ギレの文句など、文中にない情報がそのまま回答に書かれていたのだ。

無意識に俺がそれを示唆する内容を書いたのかと読み直してみたが、それが推察されるような情報は含まれていなかった。
だとしたら、鈴木さん本人もしくは関係者が隣人を知っていると考えるしかないが……まあその可能性は低いだろう。
うーん、不思議だ。


そんなわけで、俺はまた間接的に鈴木さんに良くして貰ったのである。
お礼を伝えたかったが、相談が殺到するために連絡先を封じているようでそれも叶わなかった。

この頃の俺は前回の記事にも書いた荒んだ状態にいて、無差別殺傷事件でも起こしそうなくらいに追い詰められた心情でいた。
鈴木さんは、その危機的状況を(それとは無関係な)記事から無意識に嗅ぎ取って救済しようとしてくれたのではないか、なんとなくそんな気がした。
いやその発想こそ、非現実的で、手前勝手な解釈に過ぎないものだとは分かっているのだが。


人間の能力には未だ解明されていない部分が残されている。
だから、そうかも知れないしそうじゃないかも知れないという曖昧な形のままそっとしておくことにしよう。
ただ直接顔を合わせたことのない人から2度援助を受けたこと、それは紛れもない事実だ。
俺の足を引っ張る人間がいるいっぽうで、俺の手を掴んで引き上げてくれようとする人がいるのだ。
その不思議な巡り合わせを思うと、ふんわりと胸が温かくなる。

photo: 志建 农|pixabay